‘05 中欧3カ国周遊記⑧ ハンガリーカトリックの総本山・エステルゴム大聖堂とドナウ川が素晴らしい

ブダペストに行くその前に

前日は丸1日かけてウィーン観光を楽しみました。が、その翌日にはもうウィーンを後にして、ブダペストを目指します。

ウィーン観光に興味がある方はこちらから

 

 

オーストリアを出国すると次はお隣のハンガリーですが、ブダペストに行く途中で同じハンガリーにあるエステルゴムとセンテンドレを観光してきました。

こちらは以前に別のホームページで公開していたのを、Yahoo!ジオシティーズ終了にともない移行・再編したものです。

 

ハンガリーに入国します

ピントが窓ガラスになってしまって見えにくいですが、オーストリアからハンガリーに入国する際のゲートです。前回のオーストリア入国時にも思ったのですが、もっと物々しい感じを想像していた割には意外にシンプルな造りなので少し拍子抜けました。

ランニングでもするふりしてさりげなく越境できそうな感じがします。実際はそこまで簡単にはいかないでしょうけど、ほのぼのした雰囲気が底にはありました。

 

ハンガリーに入国してから途中のサービスエリアらしき場所で休憩です。ここでトイレを利用しましたが、ドアの前にいるおばちゃんに料金を支払う有料のトイレでした。お金を取るならもっとキレイにしておきなさいよ!と思うようなレベルでしたが、日本のトイレと同じように考えてはいけないのかもしれませんね。

 

国境を越えてからしばらくはのんびりしていそうな田舎町を走って行きます。このあたりもオーストリアに入国したときと同じようにのどかな風景が広がっています。

 

バスが走る両側にはひまわりの畑が多くありました。ハンガリーは世界的にも、ひまわりの種や油の生産量が多いそうです。ちょうどひまわりがきれいに咲いている時期だったのであたり一面黄色い畑が広がっていました。

 

高い壁の上に大聖堂がそびえ立っていますが、あそこに向かう前にまずは昼食です。ずっとバスに乗っていただけなので、あまりお腹は空いていません。それでもスケジュール通り食べなくてはなりません。食事の場所やメニューに悩まなくて良い反面、事前に決まっているスケジュールに拘束されてしまうのがツアーの良いところであり悪いところでもあります。

 

レストラン「PRIMAS PINCE」

本日の昼食会場となる、「PRIMAS PINCE」。ワインカーヴを改築してレストランにしたのだとか。

 

もともとワインを貯蔵するための建物ですから、窓はなく中はやや薄暗い感じです。団体客はまとめて1つのテーブルにご案内。

 

今までは本場ということでビールを注文してきましたが、ハンガリーは白ワインの産地なのでここはやっぱりトカイワインを注文。

本場プラス雰囲気も加わってより一層美味しく感じます。

 

緑色のスープ。野菜のポタージュのような感じでやさしい味わいでした。

 

ここで提供されたお料理は魚のフライ料理でした。今までお肉系のものばかりだったので良かったのですが、揚げ物なのはちょっと・・・

このレストランが悪いわけではないのは分かっていますが、もう少し変化が欲しいところです。

 

エステルゴム大聖堂

ハンガリー・カトリックの中心地であるエステルゴム大聖堂。

初代の大聖堂
1000年頃、ハンガリー国王イシュトヴァーン1世により聖アダルベルトの教会として建設される。 その後12世紀に火災で焼失、修築されるもトルコ軍の襲撃により破壊されたという。

現在の大聖堂
1822年に建設を開始したが、1848年革命等で中断され、結局は1869に完成した。(引用:Wikipedia

火災に遭ったり壊されちゃったりでけっこういろんな目に遭っているようです。にもかかわらず、それでもなお造ろうとした当時の人たちの執念はスゴイです。

 

近づくにつれてだんだん大聖堂の迫力が増してきます。

 

祭壇にかかっている聖母マリア被昇天は油絵のキャンバスとしては世界最大だそうです。

 

像の下に骸骨が安置されています。知らないで見るとちょっとビックリしてしまいます。

 

添乗員の方いわく、堂内のパイプオルガンの本数はスゴイらしいです。何がすごいのかは良くわかりませんがきっとスゴイのでしょう。

この場所でピアノの魔術師を言われるフランツ・リストが、聖堂の再建を祝してミサ曲を披露したのだとか。

 

天井はゴールドの装飾が施されています。豪華ですね。

 

大聖堂のドーム直径は約54m。大きすぎてよくわかりません。

 

大聖堂からはドナウ川も見られます。ドナウ川が弧を描くあたりをドナウベント(ドゥナカニャル)というらしいです。

マーリア ヴァレーリア橋の向こう側はスロバキア共和国です。橋一本で国境を渡ることができるんですね。

 

川が国境で向こう側に違う国があるってどんな感覚なのでしょうか。こういったところも海に囲まれている日本とはやはり違います。

もっともチェコスロバキア共和国時代は1つの国だったのですが。

 

ヴィシェグラード

エステルゴムを離れてバスでドナウ川沿いの道路を走っていると、途中の見晴らしの良い場所で降ります。ここはヴィシェグラードの「Danub’s Knee」ポイント。

 

丘の上にあるヴィシェグラード城。下からただ眺めただけ。

 

センテンドレ

続いてやって来たのがセンテンドレ。ブダペストから北に20キロの距離にある小さな町で、丘の上の教会からは全体が一望できる。芸術の町として栄えていたようです。

この地には千年以上の歴史があり、古代ローマではウルシシア・カストラ(Ulcisia Castra、狼の城の意)と呼ばれていた。16世紀にはハンガリーにおけるセルビア人の中心地と見做されていた。と言うのも当時この地には8つのセルビア正教会の教会と3つの同教会のチャペルがあった他方、ローマ・カトリックと福音主義の教会はそれぞれ一つを有すに過ぎない状態だったのである。また、セルビア正教会ではこの地をブダ教区としていた。センテンドレとその周囲の村々は中世以降ブルガール人も入植してきた。1690年、セルビア人教師等はセンテンドレはボルガリヤ(Bolgarija)とも一部に呼ばれている事を記録している。チプロフツィからの入植者が多かった為、チプロフツィ教会(Csiprovacska templom)と言うローマ・カトリック教会が建てられた。また、市内の地名には明らかにブルガール人の痕跡が残っている。

18世紀になりオスマン・トルコの支配から解放されると、センテンドレは中世と同じく、再びセルビア人やクロアチア人、スロバキア人、ドイツ人、ギリシャ人の入植が始まり、ハンガリー人の近辺に居住した。1720年のデータによると人口の88%が南スラヴ人(多くはセルビア人)であった。今日では街の教会や横道に残るバロック建築に当時の面影を見る事が出来る。(引用:Wikipedia

 

せまい道や曲がった道などがあって迷子になりそう。

 

すぐ近くにはドナウ川が流れています。大雨でも降ったら氾濫しそうな感じがするのは私だけでしょうか?

 

ドナウ川の近くにあるアイスクリーム屋さん。味は普通・・・

 

町の中心地。こんな小さな町にもたくさんの観光客が来ていてビックリです。

ここでの観光はおよそ1時間程度でした。

 

ブダペストに入ります

センテンドレの後はブダペストに向かいます。途中、市民の方が乗るバスと平行して走りました。

 

ブダペスト市内の様子。向こうに団地らしきものがあります。オーブダという場所あたりになります。

 

 

川沿いの道路を走っていると対岸に漁夫の砦が見えました。こちらは明日観光する場所となります。

ホテルに到着して本日の旅はここで終了。明日にブダペストを観光します。

 

まとめ

本日の観光したエステルゴムとセンテンドレはどちらかというと、チェコで観光したクルムロフに似たような感じがしました。

昔は栄えていたのかもしれませんが時代と共に今はちょっと落ち着いているというか・・・

日本で言うと熱海のような感じでしょうか(熱海はこのところ盛り返してきているようですが)。

とはいえ、こちらも中世の面影があっていい想い出になりました。

次回はブダペスト観光をご紹介していきます。

 

 

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